2011年10月アーカイブ

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ヴェンダース日本公開最新作である。私は彼の映画はかなり好きで、特に「パリ・テキサス」(1984)で受けた新鮮な衝撃は忘れられない。サム・シェパードのシナリオ、ライ・クーダーのギター、テキサスの風景の寂寞感など「イージー・ライダー」(1969)と並ぶロード・ムービーの傑作であった。
また、ライ・クーダーがアルゼンチンの老ミュージシャンを追う姿を16ミリカメラで捉えたドキュメンタリー「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999)もとても面白かった。
「パレルモ・シューティング」もロード・ムービーともいえるだろう。特に舞台をヴェンダースの故郷、デュッセルドルフからイタリア、シシリー島のパレルモに移る後半はロード・ムービーそのものだ。パレルモの撮影は16ミリだったようで、画面のトーンが潮風に晒されたようなトーンで効果的だった。
主人公の売れっ子カメラマン、フィンを人気パンク・ロック・バンド。ディー・トーテン・ホーゼンのシンガー、カンピーノが演じるが、相当のはまり役だ。全体的な雰囲気に華があり、まなざしが深い。一見、華やかな暮らしに疲れ、生の実感をもてなくなり、魂の再生を求めてパレルモに行き、そこで安らぎを得るというシンプルなストーリーだが、そこにはヴェンダースの様々なこだわりが散りばめられており、そこがこの映画最大の魅力だ。
まず、パレルモの描写が素晴らしい。前半のデュッセルドルフの街の風景や最先端の仕事場などにあふれる機能美に対比するかのようにパレルモの描写にはその歴史が生む人々の匂いが漂う。フィンはそこに精神の安寧を見出す。観光客では入れないパレルモの裏街が息づくシーンにはヴェンダース独特の抒情が生まれる。
そしてデニス・ホッパーの死神。アメリカン・ニュー・シネマの旗手となった「イージー・ライダー」の監督でもあったデニス・ホッパーが久しぶりにヴェンダース作品に出演、そして2年後に亡くなるという意味でも感慨深い。死神は主人公フィンと対峙する存在ながら、生死について根源的な対話を交わす。
未来から射る弓矢がフィンを狙うシーンなど、死神のシーンには時空を行きかう映像的飛躍が展開し、映画全体に奥行きを与えている。
フィンが生への希望を抱く存在として絵画修復に従事するフラヴィアを演じるのはジョヴァンナ・メッゾジョルノ。生を体現する存在としてミラ・ジョヴォヴィッチが妊娠8日月の本人役で出演している。
全編に流れるヴェンダース好みの音楽も聞き所。
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田中泯.jpgのサムネール画像

「僕はずっと裸だった 前衛ダンサーの身体論」(工作舎)。
稀代のダンサー、田中泯、初のエッセイ集であり、活目すべき身体論・舞踊論である。自らは舞踏家と呼ばれることを拒み、ダンサーと呼ばれることを望む。
身体表現の起源を探る思いは悠久への憧憬に重なり、その古代的で始原的な匂いのダンスで、常に時代に衝撃を与えてきた。
また、俳優としても「龍馬伝」や「たそがれ清兵衛」などの異様な迫力と実在感のあふれる演技はプロの俳優たちの手垢にまみれた演技術とは一線を画し、さらにナレーター、語り手としてもユニークな位置を占めている。
 ダンサー(身体表現家)でなければ見いだしえないカラダの微妙な感覚を丁寧に、様々な色合いで、繰り返し語り、手馴れた書き手、職業的な文筆家では決して表現しえないオドリの世界の真実に到達している。
以前、彼を記録したドキュメンタリー映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ」で書いた内容を再確認できたこともあり、新たに気づかされた視点も多い。
田中泯の視点は、己のカラダの内側、内臓の内壁を凝視するかのような感覚でカラダからの微細な反応を受け止め、各器官が外の全世界・宇宙に通じていると認識することから始まり、そこからダンス表現について語るのである。
例えば、ダンスについて
「かろうじて立つ。この感じがぼくは大好きだ。」
赤子がひとりで立ち上がったときの感覚に常にこだわりながら、
「カラダは何物にも触れずに大気の中にいる。ひとりで立った、そのことに驚き、ふるえ、喜びの感情が生まれる・・」
「思えば、僕が踊りにこだわり続けること、愛し続けることができるのは、生命の所在を希求する基調低音、赤子の一日、一日が横たわっているのだ、・・・」
「・・・生きる動機が、現在よりも自然に近かったころのヒトの感情や感覚に、僕は常に憧れてきた童子のような者だ。オドリは誤りなく僕を古代に導いてくれる道標である。」
胎児から赤子になる瞬間や歩き出す動作にダンスの本質が存在すると確信しているような表現だ。このことは田中泯のオドリの背骨になっていることはよく分かる。
記憶については
自分のこども時代の記憶のことを「私のこども」と呼び、
「私はからだの中のさまざまに異なる速度にこだわり始めました。呼吸、脈、心拍、消化、発汗、排尿などなど自分で意識できない速度も含めて、からだは、とっても複雑な速度の混合で成りたち、その速度やリズムのどれ一つとっても、世界中が基準にしている速度『時間』とは、まったく一致しなのです。・・」
70年代は世界中で裸体でダンスことから、「踊りを思考する」鍵を獲得し、80年代になり師、土方巽(ひじかたたつみ)に「泯さん、そろそろ服を着たら。君は充分に晒して生きてきたよ」と言葉をかけられるまで「裸だけが。私の衣装だった。」その土方巽は「舞踏とは、命がけで突っ立ている死体である」という言葉を残している。田中泯にとっては「土方巽は青春の王だ。」というほど憧れの対象である。土方巽は存在が舞踊そのものだった。田中泯はひそかに「私はダンスだ」という日々を夢見ているという。
感情について
「人間一人ひとりの、どんな些細な『感情』にも全世界が関係している」
という意識でダンスする。「感情」というタイトルで踊る中で、それまでの裸体舞踊からイタリア兵の雨合羽を着るダンスへと変貌していった。1980年代初頭。
風景について
「人間は傲慢にも自分と風景とをまるで別物として扱っている。止めて見てはいないだろうか。人間が、事物の変化、多様な速度を無視して自分達の速度のみに没頭するようになったのはいつごろからなのだろう。」
農業について
田中泯は山梨の山地で農業をしており、ダンスと農業は両輪の輪のようだ。
「僕の畑仕事場は、生産工場ではなく、創造工場、想像空間なのだ。カラダは全面的にその場に巻き込まれ引き込まれする。畝立てに疲労したカラダは、胸、肩、上腕そして手と、小さな振動がそこかしこに棲んでいるかのように感じ、心地よい。僕が参加して立って動いている大地と自然周囲が一緒になって作り出す『気分』だ。」
田中泯のダンスを言葉で表現するのは難しい。美よりは醜、動よりは静、飛翔よりは沈潜を志向し、既成のオドリの概念をひっくり返す動きはどのような思考の中で生まれてきたのかを探るうえでは、田中泯が自らのダンスについて語る本著はオドリの本質を探る上でも見逃せない。
そして、文章の端々からほとばしる幼時、子供時代の父母の思い出やカメラマンにして生涯の友、岡田正人とのふれあいの描写は情感にあふれ、漂う懐かしい哀感に胸を打たれる。
ひたすらダンス論に徹底ししたこの書を読み終えて、田中泯の驚くべき鋭敏な感性にため息するように憧れるとともに、人間が古代以来本来備えていた鋭敏な五感の感覚を失ってきたかという喪失感をも味わうのである。
本書は山梨日日新聞の連載(2007年~2009年の2年間)されたコラム「海やまのあいだ」の単行本化であり、盟友、岡田正人の写真が重要な位置を占めている。(出版社;工作舎)

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ブルガリア北東部の黒海に面した小さな観光都市カヴァルナは、2006年から毎年夏に開かれているロック・フェスティバルのおかげでその名が世界に知られるようになったが、カヴァルナのロマ系住民こそこの地の名誉とすべきだろう。
ブルガリアのロマ居住地の多くは掘建て小屋が未舗装の土の街路に沿って並ぶスラム街のようなところで、道路と呼ぶべきものがあったとしてもそこはゴミが散らかっている。対照的にカヴァルナのロマ居住区はきれいな街並みで、地元の人々がビバリー・ヒルズと呼ぶほどである。道路は舗装され、ゴミもほとんどなく、夜には街灯がともる。塗装したての家が至るところに顔を出し、その様はマッシュルームのようだ。
ロマが12,000人の住民の三分の一を占めるこの町は、地方自治体が少数派住民の統合とそのための予算措置に取り組めば何ができるかのよい実例を示している。「おそらくここはロマ系住民の統合が実現した国内唯一の場所です。」ブルガリア科学アカデミーの研究者でロマ問題の専門家であるイオナ・トモーヴァは言う。カヴァルナのロマ健康相談員カリンカ・アタナソーヴァは、ほんの10年前に市役所の前のコーヒー・ショップで入店を断られたことを思い出しながら「いつもこうだったわけではありません。当時は町の中の多くのコーヒー・ショップやクラブがロマの客お断りだったのです。」
しかし、事態は変わり、今やロマはどこにでも行けるばかりでなく、地方公務員として働くこともできる。そして17人いる市議会議員のうち4人を少数民族出身者が占めるまでになった。改革はツォンコ・ツォネフ氏が市長に就任した2003年に始まった。
最初の任期中に少数民族統合局という部局を新設し、スタッフの中にロマを採用した。それ以来、ロマ居住区は徹底した改修を経ることとなった。統合局長マーティン・バシェフは言う。「私たちは、政治的な意志があればロマ統合の問題が10年で解決できることを実証しました。」
ブルガリアのロマ居住地では多くの家屋が許可なしに建てられていたので、土地や建物を合法化することが生活改善の第一ステップだった。市の職員は、農業で生計を立てることを希望するロマ住民には、耕作可能な土地を相場よりも安い値段で購入できるよう斡旋した。市は居住区のインフラ整備に約10億円を投資したが、そのうちの半分は欧州連合(EU)が拠出するプロジェクトによって賄われている。新しい道路と下水道が整備されるとともに既存の学校と幼稚園は改修され、新たに居住地全体に行き渡る都市ガス網が敷設された。
依然として全国的な重要課題であるロマの子供たちの中退問題も、カヴァルナではその率が2004年から2007年の間に30パーセントも低下した。町のロマ生徒のおよそ90パーセントが少なくとも8年の教育期間を満了するまでになったが、以前は多くの女子生徒が中途退学していた。カヴァルナのロマの子供の95パーセントが小学校に入学する。また、かつては居住区でよく見られたひったくりなどの小犯罪がほぼ無くなったという。玄関の施錠をしない家もあるほどだ。
カヴァルナの改革は地方政府の努力のみならず町に住むロマとのパートナーシップの結果でもある。ロマの多くは数年間ポーランドへ出稼ぎに行き、そこで稼いだ自己資金を居住区の改善に投入してきた。こうした投資がどのようなものかは<ホワイトハウス>地区に行くとよくわかる。これまでロマ居住区の外れの泥沼だったところに突如現れた白塗りの豪邸群を地元の人々がいつしかこう呼ぶようになったエリアである。
カヴァルナのロマの間では、社会生活に対する姿勢も変わってきている。つい最近まで居住区の女児の多くが学校に通わず、14歳までに結婚していた。現在では結婚年齢は16、17歳となり、多くの女児が少なくとも8年間学校で学ぶようになった。副市長のセヴィンチ・カサボーヴァ氏は、カヴァルナの統合の成功を簡潔にこう表現する。「生活水準の向上に努めるロマのコミュニティがある以上、市当局はそれに応える責任があります。」
今回の記事に触れて、数年前に訪れたマケドニアのロマ居住区シュト・オリザリを思い出さずにはいられない。ドイツや遠くオーストラリアへ出稼ぎに行き、貯めたお金で豪邸を立て、高級車に乗るロマの人々の姿がそこにあった。もちろん一方で貧困から抜け出せない人々もいるのだが、ロマの共同体はそれらすべてを飲み込みダイナミックに自らの生活を謳歌しているように見える。
(市橋雄二/2011.9.25)  

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