書籍の最近のブログ記事

トップページへ

田中泯.jpgのサムネール画像

「僕はずっと裸だった 前衛ダンサーの身体論」(工作舎)。
稀代のダンサー、田中泯、初のエッセイ集であり、活目すべき身体論・舞踊論である。自らは舞踏家と呼ばれることを拒み、ダンサーと呼ばれることを望む。
身体表現の起源を探る思いは悠久への憧憬に重なり、その古代的で始原的な匂いのダンスで、常に時代に衝撃を与えてきた。
また、俳優としても「龍馬伝」や「たそがれ清兵衛」などの異様な迫力と実在感のあふれる演技はプロの俳優たちの手垢にまみれた演技術とは一線を画し、さらにナレーター、語り手としてもユニークな位置を占めている。
 ダンサー(身体表現家)でなければ見いだしえないカラダの微妙な感覚を丁寧に、様々な色合いで、繰り返し語り、手馴れた書き手、職業的な文筆家では決して表現しえないオドリの世界の真実に到達している。
以前、彼を記録したドキュメンタリー映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ」で書いた内容を再確認できたこともあり、新たに気づかされた視点も多い。
田中泯の視点は、己のカラダの内側、内臓の内壁を凝視するかのような感覚でカラダからの微細な反応を受け止め、各器官が外の全世界・宇宙に通じていると認識することから始まり、そこからダンス表現について語るのである。
例えば、ダンスについて
「かろうじて立つ。この感じがぼくは大好きだ。」
赤子がひとりで立ち上がったときの感覚に常にこだわりながら、
「カラダは何物にも触れずに大気の中にいる。ひとりで立った、そのことに驚き、ふるえ、喜びの感情が生まれる・・」
「思えば、僕が踊りにこだわり続けること、愛し続けることができるのは、生命の所在を希求する基調低音、赤子の一日、一日が横たわっているのだ、・・・」
「・・・生きる動機が、現在よりも自然に近かったころのヒトの感情や感覚に、僕は常に憧れてきた童子のような者だ。オドリは誤りなく僕を古代に導いてくれる道標である。」
胎児から赤子になる瞬間や歩き出す動作にダンスの本質が存在すると確信しているような表現だ。このことは田中泯のオドリの背骨になっていることはよく分かる。
記憶については
自分のこども時代の記憶のことを「私のこども」と呼び、
「私はからだの中のさまざまに異なる速度にこだわり始めました。呼吸、脈、心拍、消化、発汗、排尿などなど自分で意識できない速度も含めて、からだは、とっても複雑な速度の混合で成りたち、その速度やリズムのどれ一つとっても、世界中が基準にしている速度『時間』とは、まったく一致しなのです。・・」
70年代は世界中で裸体でダンスことから、「踊りを思考する」鍵を獲得し、80年代になり師、土方巽(ひじかたたつみ)に「泯さん、そろそろ服を着たら。君は充分に晒して生きてきたよ」と言葉をかけられるまで「裸だけが。私の衣装だった。」その土方巽は「舞踏とは、命がけで突っ立ている死体である」という言葉を残している。田中泯にとっては「土方巽は青春の王だ。」というほど憧れの対象である。土方巽は存在が舞踊そのものだった。田中泯はひそかに「私はダンスだ」という日々を夢見ているという。
感情について
「人間一人ひとりの、どんな些細な『感情』にも全世界が関係している」
という意識でダンスする。「感情」というタイトルで踊る中で、それまでの裸体舞踊からイタリア兵の雨合羽を着るダンスへと変貌していった。1980年代初頭。
風景について
「人間は傲慢にも自分と風景とをまるで別物として扱っている。止めて見てはいないだろうか。人間が、事物の変化、多様な速度を無視して自分達の速度のみに没頭するようになったのはいつごろからなのだろう。」
農業について
田中泯は山梨の山地で農業をしており、ダンスと農業は両輪の輪のようだ。
「僕の畑仕事場は、生産工場ではなく、創造工場、想像空間なのだ。カラダは全面的にその場に巻き込まれ引き込まれする。畝立てに疲労したカラダは、胸、肩、上腕そして手と、小さな振動がそこかしこに棲んでいるかのように感じ、心地よい。僕が参加して立って動いている大地と自然周囲が一緒になって作り出す『気分』だ。」
田中泯のダンスを言葉で表現するのは難しい。美よりは醜、動よりは静、飛翔よりは沈潜を志向し、既成のオドリの概念をひっくり返す動きはどのような思考の中で生まれてきたのかを探るうえでは、田中泯が自らのダンスについて語る本著はオドリの本質を探る上でも見逃せない。
そして、文章の端々からほとばしる幼時、子供時代の父母の思い出やカメラマンにして生涯の友、岡田正人とのふれあいの描写は情感にあふれ、漂う懐かしい哀感に胸を打たれる。
ひたすらダンス論に徹底ししたこの書を読み終えて、田中泯の驚くべき鋭敏な感性にため息するように憧れるとともに、人間が古代以来本来備えていた鋭敏な五感の感覚を失ってきたかという喪失感をも味わうのである。
本書は山梨日日新聞の連載(2007年~2009年の2年間)されたコラム「海やまのあいだ」の単行本化であり、盟友、岡田正人の写真が重要な位置を占めている。(出版社;工作舎)

  • トップページへ

    若干27歳、恐るべき俊才の登場である。ほとんどが3.11以前に書き溜めた修士論文「戦後成長のエネルギー――原子力ムラの歴史社会学」であるが、日本人の精神構造の古層にまで思いを巡らせてくれる衝撃の書である。
    2011年3月11日の大震災と原発事故で日本の様相は一変し、その終息の兆しは見えない。現在、マスコミ、ジャーナリズムが流している情報にたいする懐疑も増大している。 本当のことは見えてこない。どうしてこのようなことが起こってしまったのかと皆こころの底で考えているが、答えは見えてこない。
    その震災後の事態の成り行きを見るにつけ、原子力ムラの成立過程とそこに暮らしてきたムラの住民たちの意識の流れというものはほとんど見えてこないのが現状である。
    この著を手にしてはじめて原子力ムラというものがいかに形成されてきたのか、そしてそこには住民の不変の「服従」する意思が存在してきたことを知らしめられるのである。
    福島県二葉町、大熊町、富岡町、楢葉町などムラのフツーの住民たちへの聞き取りという地味なフィールドワークを重ねることによって、なぜ原子力ムラが出来上がってきたのかを住民の視線から照射して鮮明に導き出した労作である。
    その根底には、日本社会の様相を分析するため従来から試みられてきた様々な手法にたいする著者の不信がある。ともすれば従来の学問的手法は革新/保守、抑圧/被抑圧、支配/被支配、加害/被害などの二項対立の思考の枠にはまり、予定調和的な結論へと進みがちであった。原発を対象としてなされてきた学術的研究やジャーナリズムも「抑圧」「変革」に帰結する構図に陥りがちだったのである。
    それを打破するために著者が取った方法がフィールドワークや地域調査という「虫」の目でアプローチする手法だった。それは中央からムラを見下ろす視線ではなく、ムラの側から地方や中央を見上げる姿勢に徹するアプローチであった。
    そうして日本の戦後成長における地方の服従の様相を明らかにすることから、原子力ムラの成立過程を分析したのである。そして著者が導き出した苦い結論。
    地方の住民たちの「自動的かつ自発的な服従」が歴史的に形成される過程こそが、原子力ムラの成立の過程そのものだという分析にいたるのである。
    原発の誘致運動以後、ムラは原子力に吸い寄せられるように、住民たちは農業から離れていった。そこには原子力への「信心」とでも言うべきものが形成されていたという。
    原子力ムラからの視点なくしては実相は見えてこない。3.11後、補章として、書かれた中に、
      「・・・・私たちは原子力を抱えるムラを『国土開発政策のもとで無理やり土地を取り上げられ危険なものを押し付けられて可哀相』と、あるいは『国の成長のため、地域の発展のために仕方ないんだ』と象徴化するだろう。しかし、実際にその地に行って感じたのは、そのような二項対立的な言説が捉えきれない、ある種の宗教的とも言っていいような『幸福』なあり様だった・・・」。
    この言葉がリアリティをもつことが、恐ろしい。福島を故郷とする著者の血の通った論考を経ずして今後の原子力ムラ、原発への発言はありえないものになるであろう。(青土社刊)

      
  • 「パゾリーニ詩集」~永遠の革新性

    トップページへ

    ピエル・パオロ・パゾリーニという名前ほど強烈なインパクトを与え続ける映画監督はいない。不可解な死後、35年が経つのに映画史を彩る「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」などの幾つかのシーンが折にふれて鮮明に蘇る。
    それは最近では「ヘブンズストーリー」「アンチクライスト」などを見ている時にパゾリーニのことを想起してしまうという具合である。人間の根源的諸問題をを突き詰めていくと、パゾリーニ的世界に突き当たる。永遠の革新性とでもいうべきか。
    そこにはキリストの十字架への磔を戦慄すべきリアルさで描いた「奇跡の丘」、父殺しなどギリシャ神話を思わせる「アポロンの地獄」、プリマ、マリア・カラスを起用し、日本の地唄などを使った「王女メディア」の様式美などでの映画体験が風化しないで持続している不思議さがある。パゾリーニ体験の強烈さがある。
     そのパゾリーニの詩集(「パゾリーニ詩集」四方田犬彦訳 みすず書房)がでた。四方田犬彦翻訳による日本だけで刊行された詩集のようだ。パゾリーニの過去の膨大な作品群から、四方田が独自の視点で編纂したアンソロジーともいえる。
    四方田犬彦のまえがきによれば、「畏友中上健次の死に始まった意気消沈から逃れるため、1993年にパゾリーニ詩集の翻訳を思い立った。」そのためボローニャ大学で研究生活を続け、ようやく刊行に至ったという。
     パゾリーニの詩人としての評価は以下のようである。少々、長いが同じくまえがきから引用する。
    「20世紀を代表するイタリア詩人はだれであったか?この問いがそれ以前の時代であるなら、中世はダンテ、ルネッサンスはアリオスト、ロマン主義時代はレオバルディ、と答えは決まっているのだが、この百年ではとなると諸家の間では意見が分かれるだろう。(中略)だがイタリアの民衆に一番近いところにあって、日常生活の卑小な悲しみから天下国家の行く末までのいっさいを射程に入れ、この国の言語的多元性、多層性を肯定的に取り上げるばかりか、ときに過激な実験に訴えつつも伝統的な韻律に忠実であった詩人は誰かといえば、それがピエル・パオロ・パゾリーニであることを否定する人はいないだろう。」
     日本においてはパゾリーニはゴダールなどと並んで、1960年代から70年代にかけて一世を風靡した映画監督としての印象が圧倒的に強いが、彼の実像は詩人にして小説家、戯曲家、批評家、理論家であり常に現実社会にたいして挑戦的な論争を仕掛ける知識人だった。
    彼の生涯において詩作が中心的所業であり、混沌、矛盾に満ちた現実世界を把握する方法のひとつが表現行為としての映画だったのだろう。彼が抱えていたであろう問題意識は余りにも多様で、複雑であり、のた打ち回るような懊悩に身もだえしながらの一生ではなかったか。
    異端、貧困、抑圧、醜聞、自由、芸術・・様々なテーマにわたるパゾリーニの真剣な思索の過程が明らかにされ、彼の映画つくりと照らし合わせ、その背景などを探る上で重要な資料でもある。
    翻訳詩集を読むということは、言葉の厳密なニュアンスを探る上で、翻訳者の力量にほとんど帰依しなければならない。その意味では四方田犬彦の立派な仕事に感謝しなければならないだろう。最後に好きになった詩をあげる。
    「ローマ1950」より
    ・・・・・・
    この十月に聖ルカの丘は
      どれほど涼しげなことか、
    円形競技場を上から覆う海の、その上で。
    あるいはトリエステの九月二十日通りで
    涼気を含んだ草花とか
    白く悲しげな橋桁とともに。
    ラジオから微かにタンゴが流れてくる、
    なにかの伴奏のように、絶望しきって
    蚊のなくような音で。ローマの
    祭りの輝きは忘れられた、ぼくの憂鬱は
    眠たげな眩暈の前に負ける・・・・
     

     

    新装版刊行「中国55の少数民族を訪ねて」

    トップページへ

    hakusuisya .jpg 1998年に刊行されてから、12年が過ぎたが、このたび新装版発売ということになった。この間、2007年と2009年の2度にわたり雲南地方に旅する機会があった。雲南省西北部を中心として居住するヌー族、リス族、ナシ族、ペー族、プミ族、チンポー族などの村々を巡ってきた。(これらはhp上にアップしてきた。)
    その後の彼ら少数民族の状況を肌で感じることができた旅であったが、この際の感想などを新装版のあとがきに加えた。2度の旅は当hpの同人、市橋雄二氏、中国取材時のスタッフ唐大堤氏が同行してくれたこともあり、1990年代前半の6年に及ぶ長い中国行脚を回想しながらの感傷旅行の趣も帯びたものになった。
    今改めて思うことは、1990年代前半にこの記録がなされたことの意義深さであり、時が過ぎるにつれて、その意味が明らかになっていくのではないかという予感である。 (市川捷護・市橋雄二 著 白水社 )
    トップページへ

    トルコに関する濃密な情報がぎっしり詰まったトルコ東部辺境のフィールドワーク紀行であるとともに心豊かなトルコの少数民族の人びとの苛酷な人生が語られ、それに寄り添う日本人言語学者との交流の記録でもある。
    著者は並外れたスケールの持ち主の、在仏が長い日本人言語学者である。小島剛一という名をはじめて知った浅学を恥じるのみである。1970年以来、トルコにのめりこむように、一貫してトルコの言語事情、民族問題とりわけ少数民族の言語研究にまい進してきた学者であるが、その過激なまでの行動力と情熱は学者の枠を遥かに超えている。ゴムぞうり履きでヒマラヤのトレッキングで6000メートル近辺まで登る体力の持ち主でもある。
    フランスに長年住むうちに身に付けたねばり強さ、たとえ強大な国家を敵に廻しても真実を伝えることを諦めない芯の強さで外交部、内務諜報機関などトルコの権力機構とわたりあう。保守的な旧弊から抜けていないトルコの言語学に絶望しながらも論戦を挑むことを止めない。
      いっぽうで苛酷な歴史を生きてきた弱小の少数民族のひとびとには限りない優しさと共感をよせ、少数民族言語の辞典を編纂し、ラズの民謡を採譜する。ラズ人の民謡集が完成すれば、トルコ東部を巡りながら、一冊一冊村人へ自ら届ける律儀な人間味の持ち主でもある。
    この本で特に参考になったこと。一つはクルド民族問題の本質がはじめて明らかになったこと。(少なくとも私にとって)かつてクルド人監督ユルマズ・ギュネイの「路」「群れ」などを見て、衝撃を受けた以来、意識的にクルド問題には関心をもってきたが、この本での言語学的な分析によりクルディスタン運動の将来まで見通せてしまうのである.。
     そして白眉は、相当な数になる少数民族の言語研究にまつわる話、事件のおもしろさである。東部の辺境の村々を訪ねて歩きながら、村人たちと交わす会話がとても生き生きとしていておもしろい。トルコ語のみならずいくつかの少数民族の言葉まで自由に駆使する日本人に出会う村人たちの驚愕の様子から、自分たちが味わってきた困難辛苦を語れることに涙する村人たちの境遇の苛酷さまで、一気に読ませる。
     トルコ政府の建前は「少数民族は存在しない。存在するのはトルコ人だけ。よって民族問題は存在しない。」ということ。こうしたトルコ政府の硬直した姿勢から生まれる少数民族への抑圧政策を著者はあらゆる機会を捉えて果敢に弾劾し続ける。
     己の思想的根拠の座標軸を「それぞれの民族は自由に己の言葉に誇りをもちながら話せる」ということに価値におくことで、そこから外れるものには、国家であれ、権威であれ、政治家であれ批判を止めない姿勢なのだ。こうしたことは日本人には理解しがたい事情だが、地球上には「民族と言語」の問題はその民族の存続をかけてまで、闘争するほど重大な問題なのだ。多民族国家は多い。
     著者が言語調査から導いた現状分析をトルコの役人たちに繰り返し説明する場面は、いかにこうした官僚機構に勤める人々を改心させることが困難かを実感させる。 専門性の高い少数民族の言語調査という行動が、いつしか少数民族の村の人々との長く、熱い交流になっていくドキュメントでもある。
       そしてトルコの諜報機関をはじめとする暗い組織との、手に汗にぎる心理戦が、サスペンス小説の様相をも帯びてくる。学者が陥りがちな言語研究の自己目的化に陥らずに、視座が常に少数民族の心に寄り添っているのが好ましい。
       ラスト。2度目の強制出国処分・国外追放でイスタンブール空港で出国を見張る少数民族出身の警察官との出会いから、彼らの著者にたいする呼び方が「お前」から「閣下」と変化する様子が感動的である。
     言語、民族、トルコに関心がない人でも一読すれば、止められなくなるような面白さに満ちた著である。
    トップページへ

    2000年に中国人作家としてはじめてノーベル文学賞を受賞したフランス国籍の作家、高行健(ガオ・シンヂェン)の代表作である。1940年江西省に生まれ、1970年から小説を発表しその才能を注目される。
    『霊山』の執筆を開始したのは1982年。翌年、北京人民芸術劇院が上演した彼の劇作『バス停』が当局の「精神汚染排除キャンペーン」によりモダニズムに汚染されているとして激しく批判される。これによって作品発表の場と自由を失った高行健は発表の当てのないままに、長江流域への取材旅行に出かける。北京人民芸術院の劇作家としての仕事を捨て、家族と離れザック背負っての一人旅だった。1983年から84年にかけて3回、おそらく2万キロを越える旅程だった。
    完成したのは1989年、出国後のパリにおいてであった。ノーベル文学賞は『霊山』を中心とする文学活動にたいして与えられた。
    『霊山』は小説ではあるが、きわめて破格の形式を取った異色の書である。まず作者の分身である「私」と「おまえ」という人称が章ごとに入れ替わる手法に面食らうが、かまわず読み進めるうちに自然に高行健の世界に引き入れられていく。都会の作家生活に疲れ果て、肺癌宣告と誤診の経験で死を身近に感じ、自己探求の一人旅に出かける。中国西南部のチャン族、イ族、ミャオ族などの少数民族の居住する辺境の奥地や長江流域を中心に、そこで遭遇する人びとの話や耳にする伝承などを求めてあてのない彷徨の旅を続けていく。
    全編が独白、対話、回想で叙述され、前後のストーリー性への脈絡はあまりない。 伝わる風俗習慣、民謡への興味、ダム建設などへの強い抗議、神話伝説への愛着、死後の世界への関心、仏教への関心、道教をめぐる関心、少数民族のシャーマニズム信仰などなどが織り交ぜられながら一人旅が続く。
      「究極の独白形式による徹底的な自己解剖の書」(本著翻訳者 飯塚 容の解説より)であり、高行健(ガオ・シンヂェン)の「独りごとは文学の原点」との信念が色濃く反映された作品である。
    多様性がこの小説の魅力であり、現実と空想を行き来する奔放さ、自由な飛躍そして死者の世界へ広がるシュールな展開がおもしろい。叙事詩的な文体から自由闊達な男女の会話など文体の多様性が意識的に組み合わされている。
    常識的なスタイルの小説とは大きくかけ離れる形式を意識してか、作品中で批評家を登場させ、「東洋にこんなでたらめなものはない。旅行記、伝聞、感想、筆記、小品、理論は言いがたい議論、寓言らしくない寓言、民謡の再録、それに神話とは程遠い粗雑な作り話が入り乱れている。これでも小説なのか」と自作をこき下ろしてみせる。 高行健は複眼的で抑制を効かせた視座にこだわり続ける。
     中国独特の深刻な政治をめぐる事件や因習にまつわる因縁話などが多いが、洗練された文体の故か、全体に乾いた印象を受ける読後感であった。
    個人的には四川省の山奥、長江支流の岷江流域に居住するチャン族の神話語りの古老、貴州省のイ族のシャーマン、ピモの儀式、ミャオ族の芦生舞などが、その風土とともに懐かしく思い出され、漢民族である高行健が彼らの神話性を帯びた習俗に魅了され、文学的衝動に駆られたことが、よく理解できた。
    1989年6月4日、出国後の中国で起こった「天安門事件」を契機に中国との決別を宣言。帰国の道は閉ざされている。1997年フランス国籍取得。

    トップページへ

    ■2009.1.13  みずみずしい感性と野生:ジプシー詩人、漂泊人生の物語――「ゾリ」(コラム・マッキャン著)
    ○本のページを繰るのももどかしく読み進めるという経験はそうそうあるものではないが、久しぶりにそうした思いに駆られた小説だ。
    「狭い河床にそって車を走らせていくと、ガラクタの数がだんだんふえてくる。大曲りになった河原にバケツがいくつかひっくりかえり、こわれた乳母車が雑草に埋もれ、ドラム缶がひからびたサビの舌を垂らし、イバラのやぶの真ん中に壊れた冷蔵庫が見える。・・・」
    この導入部はあるジャーナリストがゾリというジプシー(ロマ)の詩人の消息をたずねてジプシーの集落に入る際の記述だが、かつて私もロマの集落との境界を越えたときに感じた緊迫感を思い起こさせる適確な風景の表現だ。
    主人公ゾリは1930年代ファシズムが台頭してナチスの影におおわれていたスロヴァキア生まれのジプシーの少女。幌馬車で移動しながら漂泊の生活を信条とする非定住のジプシーに属する。
    6歳のときファシストの親衛隊に家族を皆殺しされ、ゾリと祖父だけが生き残り親戚たちと漂泊の旅を重ねる。それは街道筋の家々を物乞いの門付けをし、金品・食物を得る旅でもあった。ゾリはことばをつむぎだし、うたうことに関する特別な才能にめぐまれていた上、「資本論」が座右の書という型破りの祖父の影響もあり、ジプシーにとっては禁断の能力である文字を書き、読むという能力を身につける。
    「しかし、自分の指の先から新しいことばが生まれるのを目のあたりにして、彼女(ゾリ)は仰天した。そして指先から真新しい歌が、次から次へと生まれ出てくるようになったとき、ゾリは、ずっと昔から存在している歌の群れがなにかのはずみで自分のところにやってきているに違いないと考えた。」
    固有の文字を持たずに、口承伝承を旨とするロマニ語の世界に生きるものとしては、共同体の掟をやぶる存在であり、ジプシーとしてはきわめて異例な育ち方をしたのがゾリである。
     ゾリは14歳で老いたヴァイオリン弾きと結婚し、16歳のとき第二次世界大戦が終わり、ソヴィエトはスロヴァキアをナチスから解放した。戦後の共産党政権下、理想的なロマのプロレタリアートとしてまたたくまにその文学的才能に注目が集まり詩集を出版されるまでになる。しかしソヴィエト、スターリン政権の抑圧政策の影響下で、スロヴァキア政権の抑圧も強まる中、彼女の運命の歯車が回りだし、さらに「国民的ジプシー詩人」ゾリの文学的能力もジプシーの掟に反するとして、ロマ共同体から終生追放を宣告され、スロヴァキア、ハンガリー、イタリアへと苛酷な放浪・漂泊の一人旅がはじまる。そしてゾリの人生は大きく変転していく。
     この小説の最大の魅力は「ジプシー的なるもの」・・にたいする深い洞察力と豊富な取材に裏づけされた知見が鮮やかに語られている語り口のみごとさだろう。 ロマの生活の匂い・人間関係・家族・生きる信条・守られるべき掟・ケガレとはなにかなどなど、また河や山々、空,星、草木にたいする独特のとらえ方やこれらの自然と寄り添うロマの人生のありようが特有の警句・比喩・暗喩を交えて語られる。これらの語り口が実に心地よく胸に響くとともに、自然と寄り添う鋭敏な感覚をわれわれが喪失してしまったことを知らされる。
    劇的な運命を生きたゾリの物語の中でも、祖父ジージとの旅で語られる郷愁にみちた数々のエピソードは忘れがたいほど感動的であり、主人公ゾリのジプシー(ロマ)であるが故のみずみずしい感性と野生と意志力をそなえた人間像は実に魅力的である。
    「あたしたちは天井じゃなく空の下で暮らすようにできているんだ」という非定住の人生・生活への渇望・・・・これらのジプシー(ロマ)のひとびとの本質的な性向が通奏低音のように流れており、人間本来の自由な人生が困難になっている我々にあこがれとともに痛切な喪失感をもたらすのである。
    ○この本を読みながら、しきりにイザベラ・フォンセーカの「立ったまま埋めてくれ――ジプシーの旅と暮らし」という本を連想していたが、著者覚え書きにはっきりとこの著書に触発されたと明記してあるのを見て、納得した。(概説→アルメニア→インドとヨーロッパをつなぐキーワードへクリック)イザベラの著書は彼女がヨーロッパを縦断しながら、ジプシーの出自や旅の暮らしをヴィヴィッドに浮き彫りにしたルポルタージュの傑作である。
    コラム・マッキャン(Colum McCann )はジプシー(ロマ)ではないが、外の世界の人間としてバランスと抑制の効いた文体が力量の並々ならぬことを示している。心情的にジプシー(ロマ)に過度に傾斜しがちなテーマながら、語り手を変えながら物語をすすめることで普遍性を獲得している。また、栩木伸明氏の訳文もすばらしい。1965年アイルランドのタブリン生まれ。小説家を志してアメリカに渡り、北米大陸を自転車で放浪、その後テキサス大学で英文学を学ぶ。93年に来日、京都、九州で英語教師として働くかたわらアジア各国を旅する。94年からニューヨークで本格的に文筆活動をはじめる。2003年には「エスクァイア」誌の Writer of the Yearに選出。Zoli(2006)は 20カ国で出版予定。(著書の著者略歴参照) 「ゾリ」(コラム・マッキャン 著 栩木伸明 訳 )みすず書房 定価(本体3200円+税)

    トップページへ

    ■2008.8.25  藤原新也『日本浄土』と「イザベラ・バードの日本紀行」・・・日本列島『原風景』の130年後の変貌
    ○偶然が重なり、藤原新也の近刊「日本浄土」(東京書籍)「イザベラ・バードの日本紀行」(講談社)を併読することになった。
    イザベラ・バードは72年の生涯の多くを旅ですごし、いくつもの旅行記(「朝鮮紀行」など)を著したイギリスの女性で、彼女が日本にきたのは1878年、47歳のときだった。日本列島が江戸時代から明治維新をへて大変革を遂げている最中の東京、横浜などの都市だけではなく、東北や北海道、京都、伊勢神宮などを巡り、当時の日本人の文化・習俗・自然などを記した紀行記録である。
    印象深いのは近代化(欧化政策)を急ぐ都会だけでなく、列島の原風景を宿す東北・北海道・関西など地方の習俗・風景を活写している点である。北海道に渡ってアイヌの人々との交流を重ねながら、当時のアイヌ文化や習俗をひろく活写して広く知らしめた功績は大きい。侮蔑と愛情と敬意が入り混じった記述は全編に散見されるが、19世紀末という時代性の制約を考慮すべきだろう。西洋人の価値感、理解不可能な習俗に当惑し、時代背景に制約された侮蔑的表現などを超えて、全体を貫く旺盛な探求心・冒険心と苦難を乗り切る意志力は説得力を持つ。
    なによりもこの本の価値は、当時の日本列島がいかに豊かな自然に満ち、美しい風土だったか、そして当時の日本人がいかに無垢で優しい心根をもっていたかをしみじみと伝わえてくれることだ。異文化で育った異邦人イザベラ・バードの目を通してでも偏見・宗教観の相違を乗り越え見えてくる日本列島の風景と庶民がまぶしいほどの輝きを放つ。
    藤原新也の「日本浄土」は、(列島風景の不気味なまでの画一化、空洞化、疲弊、そして人の情の変化・・・など)のっぺらぼうになってしまった日本の街のなかから、なにか希望、光めいたものを求めてあてどなくさすらうような著者のゆらめくような呼吸が独特の読後感を残す。
    死屍累々の列島の片隅から「地味でありながら独自の呼吸をしている細部のそれぞれが,ひとつの集合体となった時、そこにもうひとつの日本が私の中で息を吹き返す。」ことを希求しながらの旅なのだ。島原、天草、門司港、柳井、尾道、能登、房総などを幼時の思い出などを交え訪ねるが、一日中歩いても、一枚の写真も撮れないほどのこの旅は藤原新也にとっては苛酷なものだったろう。
    「印度放浪」「西蔵放浪」などとは位相が違う今の日本列島の病理は表現者にとっては逆説的に手ごわい被写体なのだろう。
    イザベラ・バードが訪ね歩いた日本列島の美しい原風景から130年後の「風景」は藤原新也に「歩き続けることだけが希望であり 抵抗なのだ 歩行の速度の中でこそ、失われつつある風景の中に息をひそめるように呼吸をしている微細な命が見え隠れする」と言わしめるほど切迫した時代を反映するものなのだ。

    トップページへ

    「カラマーゾフの兄弟」の復活

    ■2008.3.25  「カラマーゾフの兄弟」の復活
    ○この世の中に身をおいていると虚偽、虚飾にあふれたことにふれたり、見たりしなければならないこともある。普通はそうしたものをやり過ごしたり、かわしたりしながら過ごしていくものである。しかしそうしているうちに身に付着した垢やおりの匂いが急に気になりやりきれない気持ちになる。
    突然、なにかホンモノに触れてみたくなり、直接、利害に関係のない大きい世界に身を置きたくなる。つまりバイアスの掛かった気持ち、不均衡な気分をリセットしたくなるのである。
    ドフトエフスキーを高校以来まったく久しぶりに読んだ。「地下室の手記」「貧しき人々」などには、強く心を揺さぶられたが、かれの底知れぬデモーニッシュな闇におそれを感じ、ツルゲーネフなど別の作家に移っていった。それ以来ドフトエフスキーはもう読むことはあるまいと思っていた。
    評判の「カラマーゾフの兄弟」の新訳(文庫5巻)である。やはり亀山郁夫の訳がみごとである。亀山があとがきで述べているように「いま、息をしているリズム」の日本語がみごとにドフトエフスキーの広大で深遠な世界をつむぎだしていく。楽な呼吸のままに文章がすっと体に入っていき、流れていくかのごとき文体である。
    19世紀の帝政ロシア時代のカラマーゾフ一族を描きながらも、抽出されるテーマは父殺しを軸にしながら、神の存在、信仰と教会、家族、男女の愛と嫉妬、友情などなどあらゆる根源的テーマを包含しつつ、壮大な物語が怒涛のように展開していく。
    登場人物たちのなんと魅力的なことか。主役から脇役にいたるまで、血肉あふれんばかりの人間そのものだ。人物の造型・彫琢は大胆にして細密。
    それぞれの性格は多様性に満ち溢れ、一面的な解釈をあざ笑うかのように、つぎつぎと読者の先入観・固定観念を打ち砕いていく。全体の構成から人物の造型すべてにポリフォニー(多声)性が貫徹して、複眼で微細を確かめつつ、俯瞰で全体を見透す目配りが行き届き人間存在の不可思議を徹底的に掘り下げつくす。
    一人一人が自在に吐き出すことばが多様性に富み、それぞれが反応しあい、響きあい、全体のポリフォニ-(多声)性を形成していく大交響曲そのものだ。
    思想・思弁小説にして、宗教小説、恋愛小説でもあり大ミステリ-小説でもある。固唾をのみながら読み進めるなかで味わう混沌とした気分はいつしか浄化されたものに変貌している。
    進路を失って、迷走をはじめた21世紀現代社会の混迷を待っていたかのように、「カラマーゾフの兄弟」は復活した。

    トップページへ

    トップページへ

     ■2007.11.23  沖縄と中国少数民族の魂:佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読んで
    ○佐藤優の『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)の文庫本が出たので読んだ。彼の作品で最初に読んだものは『獄中記』(岩波書店)だが、すべての面で第1級の記録文学だと思った。512日間の独房生活での読書と思索の日々の丹念な記録であるが、その記録性、客観性、分析力、説得力、論理のダイナミズムそして筆力の確かさなどに引き付けられて一気に読み終えた。なによりも読み物として面白かった。
    佐藤優は一審判決で執行猶予中の起訴休職外務事務官でもあるが、今や論壇の寵児の感がある。私はこの3年間、佐藤のものすごい表現エネルギーがどこからくるのか謎であったが、今回『国家の罠』を読んで、初めて分かったことがあった。
    それは彼が文庫本の長いあとがきのなかで「人間の生命は一つであるが、魂は複数ある」と記述した部分であった。鈴木宗男バッシングの嵐のなかでの逮捕、獄中生活、その後の様々な場面で、かつての盟友たちが態度を豹変し、検察側に迎合し、佐藤の犯罪を立証する側に協力をしていった苛酷な体験を経る。しかし佐藤はこうした人々に対してまったく腹が立たなかったこと、バッシング報道を垂れ流す新聞、雑誌の記者に対してもそうだったことを述べている。看守や友人たちから、なぜそれほど冷静でいられるのかを問われて、怒りは判断力を狂わせるからという計算があったことを認めながらも、それだけではない「何か」を求めて自省する中から「人間の生命は一つであるが、魂は複数ある」という自己認識にいたるのである。周辺の人々の変節も彼らの内部の別の魂が働いた結果と考えるのだ。
    彼はそれを自己のなかにある沖縄性が密接に関係しているという。沖縄には独特の人間観があり、一人の人間には魂が複数あり、それぞれの魂が個性をもっており、それぞれの生命を持つ。一人の人間は複数の魂に従って、いくつもの人生を送れる。複数の魂によって多元性が保障されているのだ。沖縄のユタ(霊媒師:在野の女性のシャーマン)は、人間の魂は六つあるといい、自分の実感にも合致するという。彼の母親は沖縄の久米島出身で戦時中の苛烈な体験を持つようだ。佐藤優の体の中にはウチナーンチュ(沖縄人/琉球人)の血が流れているのだ。
     そして佐藤は自らを省みて、己の魂をナショナリストとしての魂、知識人としての魂、キリスト教徒としての魂があるという。インテリジェンス(特殊情報活動)という国益上の仕事に従事するときはナショナリストとしての魂が活動し、モスクワや東京で大学の教鞭をとり、哲学書や神学書に向かうときは知識人としての魂が機能し、人生の岐路に立ったときはその選択をキリスト教徒としての魂を基準に行う。
    これらの魂の複数性を認識した瞬間から佐藤優は「猛烈に書きたい」意欲が生まれたという。表現エネルギーの噴出だった。
    ○彼の中の沖縄性を考えると、私にも納得できることが多い。かつてほぼ5年間にわたり中国の少数民族の民間芸能を取材した際、多くの少数民族の信仰は、生物、無機物を問わず、すべてのものに霊魂が存在するというアニミズム(精霊信仰)であり、シャーマンが村落共同体の中で一定の力を保持していたという事実を確認している。これら少数民族の霊魂、魂が複数存在するという精霊信仰は沖縄のユタの信仰、人間観と近縁性があり、強く繋がっていると思えてならない。沖縄、中国少数民族の世界には、それぞれの土地や人びとの真理に根ざした魂を認める寛容さ、多元性がうかがわれ、現代社会に見られる息苦しさ、閉塞感がないという共通性がある。
    雲南地方の北西部のヌー江沿いに奥深くさかのぼると、2000mを越える山岳斜面にへばりつくようにヌー族の村が点在する。1993年私が訪ねた村は戸数200弱、人口1000人足らずの村だったが、80パーセントがキリスト教を信仰していた。高地の村にも19世紀末に宣教師が入った結果だ。丸太で作った素朴な教会でヌー族の人々が、独特の伝統の地声発声で歌う賛美歌は民族固有の民間芸能を求めて訪ねた我々には複雑な感動を呼ぶものだった。キリスト文明と民族始原の音感覚との奇妙だが、魅力ある融合があった。そして、驚くべきことにはこの村にはシャーマンも存在したのである。シャーマンは実際に病気治療の儀式も行っていた。キリスト教とシャーマンの共生という不思議な現象に、私ははじめ戸惑いを感じたが、両者が小さな村に存在し、互いを侵食しないゆるやかな関係が働いていたように思う。正に人間に複数の魂を許容するおおらかさが存在していたということだろう。
    世の中はあるゆるものを、あらゆることを一つに統一しようとするグローバライゼーチョンの波に巻き込まれようとしている。
    佐藤優の厳密、俊敏な文章の運びのなかに息苦しさを感じることなく、安らぎさえ感じるのは人間の多元性、多様性を許容するおおらかさ、寛容さが全体に通底しているからだろう。
    nu-zoku.jpgkyoukai.jpgsyaman.jpg
       ○年末から2008年初頭にかけて15年ぶりに雲南省北西部のヌー江沿いの少数民族の村を訪ねるべく、準備中である。かつてはたどり着くまでに悪路、泥道の連続で悪戦苦闘をしたが、その後、この近辺はどのような変貌をとげているだろうか。あの教会はどうなっているのか。取材がうまくいけば、映像・音によるレポートができるかもしれない。
    ≪写真説明:(左)キリスト教会で賛美歌を歌うヌー族の人々 (中)山の中腹に立つ教会 (右)病気治療の儀式をするシャーマンの男性<左端>と病人の男性<青い服>、右は助手の男。いずれも雲南省ヌー江リス族自治州福貢県匹河郷・ラムトゥン村。1993.6.6 撮影 市川≫

    佐藤花那子さん

    ■2007.6.27  佐藤花那子さんのこと=
    スペイン在住のフラメンコ舞踊家。生きながらにして伝説の人、マヌエル・アグヘタ≪カンタオール(フラメンコの唄い手)。伝統的で純粋なフラメンコの最後にして最大の継承者。≫の妻でもある。彼女の著書「モーロ人は馬に乗って~アンダルシアで舞い、耕し、生きる」(解放出版社2004年)は、ヒターノ(ロマ・ジプシー)である夫のアグヘタとスペイン南部アンダルシア地方の最南端の町、チピオナで家畜や野菜を自給しながら過ごす日常そのものが如何にフラメンコに根を生やしているものかを実感させてくれる稀有の記録である。フラメンコを踊ることは生活そのものであるという彼女の確信、そしてヒターノの本質的な生き方や思考形式を時には過激ながら、したたかなユーモアも交えて語っている。この土地の苛酷な夏の生活など自然への視野も深い。そして自己を内省する目は意外に冷めている。とにかくロマ(ジプシー)の真情やフラメンコの真実を(文字を持たない)ヒターノの内側から彼らの心のヒダをめくるように伝えてくれる実に貴重な証言だと思う。ジプシーに関する著書という意味でも「立ったまま埋めてくれ」(イザベル・フォンセーカ くぼたのぞみ訳 青土社)と比肩しえるものだ。

    その佐藤花那子さんがその後の生活ぶりなどのエッセイをSPAZIO65号,66号に寄せている。これらのエッセイにも、さらに土地に根付いた生活からあふれ出るフラメンコへの透徹した洞察力と日本にいる老いた母への思いが交差しており切ない。そして、彼女のフラメンコ舞踏家としての姿勢や夫、マヌエル・アグヘタの肉体化されたフラメンコへの記憶(3日間唄いつづけても同じ歌詞を繰り返すことは絶対にない)について語っている。文字を持たないが、その頭脳のなかには膨大なフラメンコの歌詞が整然とはいっており、それらはヒターノの歴史を物語る図書館でもある。
    昨年マドリッドに行った際、滅多に見られない豪華メンバーでのライブがあり、アグヘタはトリで出演していたのだが、どうしようもないスケジュールの都合でアグヘタの唄を聞けなかったことが今でも心残りである。

    トップページへ

    雑誌「コヨーテ」

    ■2007.6.26  雑誌「コヨーテ」19号は特集インド<ジプシーの旅立ち~タール沙漠を彷徨う>である。この雑誌は藤原新也が「日本浄土」という連載を始めているので、気にはなっていたが、いずれ単行本になってからと思っている。特集の中にはCD「ジプシーのうたを求めて~沙漠に生きる漂泊の芸人たち(ビクター)や拙著「ジプシーの来た道」(白水社)が紹介されている。

    トップページへ

    このアーカイブについて

    このページには、過去に書かれたブログ記事のうち書籍カテゴリに属しているものが含まれています。

    前のカテゴリは映画です。

    次のカテゴリは民俗芸能・祭りです。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

    ウェブページ

    Powered by Movable Type 4.261