舞踊の最近のブログ記事

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田中泯.jpgのサムネール画像

「僕はずっと裸だった 前衛ダンサーの身体論」(工作舎)。
稀代のダンサー、田中泯、初のエッセイ集であり、活目すべき身体論・舞踊論である。自らは舞踏家と呼ばれることを拒み、ダンサーと呼ばれることを望む。
身体表現の起源を探る思いは悠久への憧憬に重なり、その古代的で始原的な匂いのダンスで、常に時代に衝撃を与えてきた。
また、俳優としても「龍馬伝」や「たそがれ清兵衛」などの異様な迫力と実在感のあふれる演技はプロの俳優たちの手垢にまみれた演技術とは一線を画し、さらにナレーター、語り手としてもユニークな位置を占めている。
 ダンサー(身体表現家)でなければ見いだしえないカラダの微妙な感覚を丁寧に、様々な色合いで、繰り返し語り、手馴れた書き手、職業的な文筆家では決して表現しえないオドリの世界の真実に到達している。
以前、彼を記録したドキュメンタリー映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ」で書いた内容を再確認できたこともあり、新たに気づかされた視点も多い。
田中泯の視点は、己のカラダの内側、内臓の内壁を凝視するかのような感覚でカラダからの微細な反応を受け止め、各器官が外の全世界・宇宙に通じていると認識することから始まり、そこからダンス表現について語るのである。
例えば、ダンスについて
「かろうじて立つ。この感じがぼくは大好きだ。」
赤子がひとりで立ち上がったときの感覚に常にこだわりながら、
「カラダは何物にも触れずに大気の中にいる。ひとりで立った、そのことに驚き、ふるえ、喜びの感情が生まれる・・」
「思えば、僕が踊りにこだわり続けること、愛し続けることができるのは、生命の所在を希求する基調低音、赤子の一日、一日が横たわっているのだ、・・・」
「・・・生きる動機が、現在よりも自然に近かったころのヒトの感情や感覚に、僕は常に憧れてきた童子のような者だ。オドリは誤りなく僕を古代に導いてくれる道標である。」
胎児から赤子になる瞬間や歩き出す動作にダンスの本質が存在すると確信しているような表現だ。このことは田中泯のオドリの背骨になっていることはよく分かる。
記憶については
自分のこども時代の記憶のことを「私のこども」と呼び、
「私はからだの中のさまざまに異なる速度にこだわり始めました。呼吸、脈、心拍、消化、発汗、排尿などなど自分で意識できない速度も含めて、からだは、とっても複雑な速度の混合で成りたち、その速度やリズムのどれ一つとっても、世界中が基準にしている速度『時間』とは、まったく一致しなのです。・・」
70年代は世界中で裸体でダンスことから、「踊りを思考する」鍵を獲得し、80年代になり師、土方巽(ひじかたたつみ)に「泯さん、そろそろ服を着たら。君は充分に晒して生きてきたよ」と言葉をかけられるまで「裸だけが。私の衣装だった。」その土方巽は「舞踏とは、命がけで突っ立ている死体である」という言葉を残している。田中泯にとっては「土方巽は青春の王だ。」というほど憧れの対象である。土方巽は存在が舞踊そのものだった。田中泯はひそかに「私はダンスだ」という日々を夢見ているという。
感情について
「人間一人ひとりの、どんな些細な『感情』にも全世界が関係している」
という意識でダンスする。「感情」というタイトルで踊る中で、それまでの裸体舞踊からイタリア兵の雨合羽を着るダンスへと変貌していった。1980年代初頭。
風景について
「人間は傲慢にも自分と風景とをまるで別物として扱っている。止めて見てはいないだろうか。人間が、事物の変化、多様な速度を無視して自分達の速度のみに没頭するようになったのはいつごろからなのだろう。」
農業について
田中泯は山梨の山地で農業をしており、ダンスと農業は両輪の輪のようだ。
「僕の畑仕事場は、生産工場ではなく、創造工場、想像空間なのだ。カラダは全面的にその場に巻き込まれ引き込まれする。畝立てに疲労したカラダは、胸、肩、上腕そして手と、小さな振動がそこかしこに棲んでいるかのように感じ、心地よい。僕が参加して立って動いている大地と自然周囲が一緒になって作り出す『気分』だ。」
田中泯のダンスを言葉で表現するのは難しい。美よりは醜、動よりは静、飛翔よりは沈潜を志向し、既成のオドリの概念をひっくり返す動きはどのような思考の中で生まれてきたのかを探るうえでは、田中泯が自らのダンスについて語る本著はオドリの本質を探る上でも見逃せない。
そして、文章の端々からほとばしる幼時、子供時代の父母の思い出やカメラマンにして生涯の友、岡田正人とのふれあいの描写は情感にあふれ、漂う懐かしい哀感に胸を打たれる。
ひたすらダンス論に徹底ししたこの書を読み終えて、田中泯の驚くべき鋭敏な感性にため息するように憧れるとともに、人間が古代以来本来備えていた鋭敏な五感の感覚を失ってきたかという喪失感をも味わうのである。
本書は山梨日日新聞の連載(2007年~2009年の2年間)されたコラム「海やまのあいだ」の単行本化であり、盟友、岡田正人の写真が重要な位置を占めている。(出版社;工作舎)

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■2009.5.17  

カルベリヤ・ダンスにも通じる文化的連鎖::ベリーダンス・スーパースターズ東京公演(2009.5.15五反田ゆうぽうとホール)
●18時半の開場に合わせてコンサート会場に着くと、すでに入り口付近から大勢の人々でごった返していた。ロビーでダンス用の衣装や小物を売る物販コーナーには女性たちが群がり、CDやDVDを即売する人が人の多さにつられて大きな掛け声を上げている。もともと週末の土曜日と日曜日に予定されていた3回の公演が満席となり、急遽決まった特別追加公演において、このにぎやかさである。席がほぼ埋まっていたので、会場のキャパから考えて1500人は来場していたのではないだろうか。観客は30代から40代の女性が中心と見受けられた。ベリーダンスがブームとは言え、このような大きな会場を埋め尽くすまでの広がりがあるとはなんとも驚きである。
 ベリーダンス・スーパースターズはアメリカ発のベリーダンスチームである。それ以外の予備知識はなく、とにかく次々と繰り出されるステージ上の踊りに集中した。おへそを出した形の華やかな衣装でステージ上を舞い踊るメンバー総出のイントロダクションに続いて、中近東の代表的な太鼓ダラブッカの奏者が登場して軽快なリズムを披露、ジプシーブラスのメロディーが流れる中、フロントダンサーがソロダンスを踊る。そして、アラブ古典音楽の弦楽器カーヌーン(台形の薄い共鳴箱の上に78本の弦を張り、爪をはめた指で弾いて鳴らす)の流麗なメロディーに合わせて6人のダンサーが踊るオーセンティックなベリーダンス。このあたりまでは、ベリーダンス・スーパースターズという名前が示す通りの内容だった。
その後、ラップ音楽やドラム&ベースのビートの利いたクラブサウンドに合わせたトライバル・ダンスからトルコの民俗的なラインダンスをモチーフにした踊りまでバリエーションの幅が広がっていく。2部に入るとクラシック・バレエやポリネシアン・ダンスとのフュージョンダンスまでが登場し、その大胆でトライアルなレパートリーには度肝を抜かれた。踊りがしばらく続くと、唯一ダラブッカの生演奏で伴奏するパーカッショニストが舞台そでから人なつっこい表情で現れて、観客とのコールアンドレスポンスで会場の雰囲気を盛り上げる。
総勢15名のこのチームは、エキゾチシズムあふれるベリーダンスを軸に世界各地のダンスの要素を取り込み、新しいダンスの魅力を作り出そうとしているのだ。ベリーダンスを<中近東の民族舞踊>から解き放ち、イマジネーションあふれる創作ダンスに仕上げたことで多くの新しいファンを引き付けることに成功したのだろう。一方で、ステージ終盤に9/8拍子の変拍子とともに、ダンサーがダラブッカを立てて、そのわずか直径30センチ程度の鼓面に乗ってからだを360度回すややアクロバティックな踊りも登場し、ローカルな土着性へのこだわりも匂わせる。
ベリーダンスのルーツのひとつにジプシー(ロマ)の踊りがあると言われている。素早い回転と腰の細かな振りは、インド・ラージャスターンのカルベリヤ・ダンスにも通じていて、一連の文化的連鎖を感じずにはいられない。(市橋雄二)

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■2009.4.15  地底からの響き・・・・舞踊家・田中泯のナレーション・・・・
●12日にNHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」という番組を見た。
 アマゾンの最深部に1万年以上、独自の文化・風習を守り続けているヤノマミ族を150日間同居し、記録したものだ。「森の中、女だけの出産、胎児の胎盤を森に吊るす儀礼、2ヶ月以上続く祝祭、森の精霊が憑依し集団トランス状態で行われるシャーマニズム、集団でのサル狩り、深夜突然始まる男女の踊り、大らかな性、白蟻に食させることで天上に送る埋葬...。そこには、私たちの内なる記憶が呼び覚まされるような世界があった。」(NHKのHPの紹介文から)
ドキュメンタリーとしては情緒的、技術的なカット変わりが気になったが、何よりも被写体の事実の重さが強く印象に残る佳作だった。
だが、私にとっては、この作品は舞踊家・田中泯のナレーションのすばらしさによって今後記憶されるものになったのである。導入部のスタッフタイトルを見過ごし、何の予備知識もなく見ていて、すぐにこのナレーションは誰なのかと気になり始めた。
抑制をきかせながらも、熱い思いがにじみ出る語り口にはいわゆる手馴れたプロの巧者の味わいとは違い、共感に裏づけられた思いがみなぎっていた。それは静謐さと緊迫感が入り混じり、地上を這いずるような語り口だった。
視聴者に語りかけるような親和的なものではなく、宇宙に向かって地底からつぶやくような姿勢がうかがえ、ヤノマミの民が語り部に変身したかのような語り口だった。番組途中から何故か田中泯の声だと確信したが、それはなんの根拠もなく、ただ地底からの響きのような感触・手触りは田中泯の舞踊から受けるものと同一だったからであった。

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舞踊家、田中泯のこと

■2007.7.02  田中泯の踊りを追った映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ」を見て=
舞踊家、田中泯がインドネシア諸島を巡ってのダンス・ロード・ムービー。ドキュメンタリー映画としてみれば、様々な異論がでるだろうが、田中泯の踊りに関してはとても理解ができ、共感できる内容だった。
ずいぶん前(80年代)になるが、大野一雄の「ラ・アルヘンチーナ頌」を見たときが、舞踏なるものとの初遭遇だった。80歳を越えた晩年の大野は深い皺の顔面を白塗り、真っ赤な口紅、フラメンコ風の衣装という異様な様だったが、踊り始めると魔法のごとく女そのものに変貌し、踊りからは香り高い歌謡性が漂っていたのを思い出す。(女型といえば、唐十郎の状況劇場にいた四谷シモンも妖艶だった。)映画「たそがれ清兵衛」のラストシーンで、田中泯は亡き子どもの遺骨をかじり、最期の決闘にいたるが、その殺陣は彼の踊りそのものであった。
いわゆる<舞踏>というものが、欧米のバレエをはじめとするダンスシーンに衝撃を与えはじめてから、大分経つが、その余波は続いている。田中泯はまさしく土方巽の流れを受け継ぐ舞踊家である。土方巽は日本の舞踏の始原とも言うべき舞踊家で、暗黒舞踏といわれた表現形式を確立し、その影響力はジャンルを超えて、、文学、美術、哲学、演劇、音楽の分野にまで及んだ。
「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」という土方の言葉は衝撃的な至言だ。土方は東北地方の大地に密着し、生への肯定・昇華ではなく、死へ向かう身体のあり方、滅亡・衰退する身体に美を見出し、そこから踊りを生み出す画期的メソードを確立した。その土方からから幾多の踊り手が派生したのである。
そして田中泯である。バレエが跳躍、回転運動など身体が舞台から浮くことに躊躇しないのに対し、田中泯の身体はまさに正反対の動きが基本だ。バレエなどの基本メソードは静から動へ、あるいは動きをさらにダイナミックにする動きの転換・加速による昇華・カタルシスのダイナミズムに向かうが、田中泯の踊りは逆ベクトルを志向し、あくまで身体が沈潜することに執拗にこだわる。徹底的な下方指向である。それはあたかも大地に横たわる身体が地下から湧き出るエネルギーを待ち受け、そこから必然的に身体が反応し、動きだすのを気長に待つというイメージが強烈だ。
彼が山梨に住み、農業をしながら、踊ることを続けているというよりも、むしろ農業と踊りが一体化している生き方が伺える。映画の舞台がインドネシアの農民・農作業が中心であることは必然だろう。
インドネシアの島々の農道を歩く様は足の指、足首、膝、股関節、肩、首までが滑らかではなく、ギシギシと音が聞こえるかのように屈折感がある。もちろん歩いているのではなく、踊っているのだ。村人がすれ違い、耕耘機がエンジン音をたてて過ぎていく。村の中に入り、村人が見守る中で、踊り、耕し、田を植えそして子どもたちと泥を投げ合う。すべてが踊りともいえるような光景だ。しかしながらその光景には田園風景の自然や子ども時代への記憶が懐旧としてあるのではなく、滅び去ってしまった自然、回復できない記憶への渇仰があるように思える。
海をただながめたり、舟の舳先に突っ立ち、風を切るシーンや横たわるポーズ、あるいは背中を地につけて、両手両足を昆虫のように屈曲させるイメージには、田中泯が動けない姿に魅力を感じており、その中にも踊りの美が存在するという独特の視点がある。動けないイメージは死、胎児のイメージに連なり、師、土方巽の本質に連なる。
バリ島に渡ってからの踊りはそれまでの形とは幾分違い、観光客も交じり、ガムランを伴奏としながらのミニ公演のシーンだった。ガムランの速射砲のような連打音には彼なりの動きで応え、決めのポーズはバリダンスのポーズで決める。このシーンは、観客を前にしたときの踊りと、村のなかで、道端で、水辺で踊りたくなったら勝手に踊るという踊りのシーンとの決定的な違いがあり重要である。田中泯はこれから勝手に踊る方向に向かうような予感がする。
人間は食って、排泄して、眠ることからは逃れられず、その基本形を踏まえずに高邁な思想も、様々な芸術・芸能の行為は成立しないということを改めて思う。

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