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ちあきなおみとビリー・ホリデイ

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以前から、歌手ちあきなみはうたの表現力において唯一、美空ひばりに比肩しうる歌手だと確信していたが、最近10枚組のCD全集を集中してきいてみて、あらためて、彼女の凄さを再確認した。1992年、夫との死別後、卒然と姿を消して17年。久しぶりに「紅い花」「紅とんぼ」などをきき、20年前の今や伝説のステージになっている「LADY DAY」を見たときの驚きに似た感動を思い出す。

「LADY DAY」は不世出のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイの壮絶な生涯を演じた1人芝居ミュージカルで、1989年赤坂の小さな小屋で行われた。100人前後のキャパのミニシアターだったこともあり、ナマで見た人は少ない(はずである)。顔を黒く塗りビリー・ホリデイに扮したちあきなおみのうたと演技は、ややもすれば陥りがちな汗をかいての熱演型ではなく、栄光と恥辱にまみれた壮絶な人生をおくった歌姫の人物像を鮮やかに立ち上げたものだった。そこにはうたの上手さとか演技力を超えて伝わってくる何かがあった。それは芸能者としての花としかいえないものだった。

ビリー・ホリデイは生涯を通して人種差別と麻薬・アルコール依存症に苦しんだ。それ故にビリー・ホリデイのうたには深い情感が漂い、聞くものの感情のひだにまでしみわたるものがあった。リンチされ木にぶら下がる黒人の死体の情景をうたった「奇妙な果実」をはじめ、魂に迫ってくる唱法が後世に与えた影響力は大きい。

当時のちあきなおみは42才。44才で逝ったビリー・ホリデイに近い年齢だった。4才でタップダンスを踊り、5才からアメリカ軍キャンプでうたっていたというただならない経歴は芸能者のものとして誇るべきものだし、ちあきなおみがビリー・ホリディに特別な関心を抱いていたのは間違いあるまい。

 CD10枚を聞いて、最も印象に残ったうたは引退直前に入れた「紅い花」であった。(詞: 松原史明、曲: 杉本眞人)このうたの歌唱は絶唱というにふさわしい。うまいのは当然で、そういうレベルとは違う位相で、芸能とは何か、うたうとはどういうことかという原理的な問題について考察したくなるほどの歌唱である。時折、大衆芝居のすえた通俗的な匂いをうかがわせながら、人間の感情の振幅、人生の真実の瞬間をきっちり謳いあげる力量には感嘆する。「紅い花」とならび絶唱とされる「紅とんぼ」の作曲者,船村徹は「おたまじゃくしの裏側をうたえる人」と表現する。

 現在の歌謡界の貧困を思うとき、ちあきなおみの大きさがしみじみと伝わってくるのである。

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歌手、山崎ハコのこと

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■2008.3.14  歌手、山崎ハコのこと
○何となく気になる存在の歌手に山崎ハコがいる。特に彼女の歌を集中的に聞いたことはなかったが、1970年代の半ばにデビューしたころには、はかなげで、弱弱しい風情と情感あふれる声質が印象的な歌手だった。中島みゆきなどがメジャーになっていく時代にひっそりと歌をうたう彼女のような存在も貴重だと思っていた。その後も五木寛之のラジオ番組などに出演してるのを偶然聞いたりして、ああ、それなりにやっているんだなと思っていた。よく言われるように暗い唄うたいの代表みたいにいわれたようだが、それはそれで個性だからいいのではないかと彼女を支持したい気持ちもどこかにあった。
今年の2月に「大竹まことのゴールデンラジオ」(文化放送)を聞いていたら、山崎ハコがゲスト出演していた。大竹との対談もなかなか良かったが、そこで流れた新作シングル「BEETLE」はおっと思わせるものだった。彼女をまとめて聞いてみたくなり、3枚ほどベストものを取り寄せ、このところ聞いている。「望郷」「白い花」などハコ節とでもいうべき数々のうたから1970年代以降の日本の姿が浮かんでくる。それは晴れがましい世界ではなく、ごく狭い、些細な日常における人間の感情の表出だ。なによりも歌わずにはいられないという切迫感が鮮明だ。過剰な装飾もなく、派手な演出もない。見方によれば、不細工、不器用なほど生硬でいて、どこか清浄なものが聞こえてくる独自な世界をもっている。こうした一貫した姿勢で30年歌ってきた山崎ハコがとても貴重な存在に思えてきた。そういえば、浅川マキはどうしているだろう。気になってきた。

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